DOLs代表・山中裕加は異邦人か。 ラジオ番組出演書き起こしより(後編)

最終更新日

南海放送ラジオ THE VOICE(2020年3月14日放送分)より 番組後半部分書き起こし

左からIRC福田泰三さん、DOLs代表・山中裕加、佐伯りささん

番組前半では、DOLs代表・山中裕加が取り組む事業について語られた。リクエスト曲に久保田早紀「異邦人」をチョイス。後半では、その理由とともに、山中の半生とこれからが語られる。

(「異邦人」かかる)

佐伯:なぜこの曲を(笑)

山中:小さい頃に父親が運転している時にこの曲がずっとかかっていて、空で歌えます(笑)染み付いてますね。ちょっと学生がだいぶ長かったのと、親のスネをかじりまくってたっていうのもあって、父親も自営業なんですけど、私も自営業という立場になった時に、お父さん頑張ってたんだなと思って、懐かしくてこの曲を選びました。

佐伯:小さい頃どんなお子さんだったんでしょうか。

山中:割とよく喋る子ではあったと思います。色んな事を言って。ちゃっちゃちゃっちゃ言ってた・・小学校6年生の時の担任の先生から「いつまでもアイデアマンでいてね」って言われたのを覚えていて。自覚は別に無いじゃないですか、そういう「私はアイデアマンだわ」みたいなのは無かったんだけど、昔からこういうこと楽しいよね、と言うタイプだったんだなと思ってて。これはちょっと覚えてます。

佐伯:その頃は大人になったらこんな仕事をしよう、という思いもあったんですか。

山中:大学に進学するつもりは一切なくて、パティシエになりたくて。学校の授業の実習とかでも、チョコレート屋さんに行ってお菓子作りの体験とかを、職業体験でさせてもらったので、もともと手をを動かして作るとか絵を描くのは好きだったので、そういうところからパティシエになりたかったんだと思います。進学するつもりはなく、高3の時の進路相談みたいな時に、その時の担任の先生に、私は樹木希林になりたいって言ってて(笑)。

佐伯:また「ひねり」が聞いてますけども、どういうことでしょうか。

山中:今になって解釈すると、しっかり自分の「味」を持って芯のある人になりたいみたいな事だったと思うんですけど。全く女優になりたいとかではなかったんですね。先生はそれをあまりに私がいつまでも言い続けるから、これあかんと思ったのか、担任の先生が建築学科だったんですけど、もの作るの好きだし、建築学科楽しいよって勧めてもらって、じゃあ建築学科っていう所に行ってみるか、みたいな。そんな不純な動機で建築学科を志望しました。

福田:じゃあ担任の先生のおすすめがなかったら今どうなってたんでしょうね。

山中:やばいですよね。樹木希林の延長線上がなんだったのか気になります。

佐伯:進まれたのが明治大学の理工学部。理工学部の中に建築学科があったということですか。そこではどんなことを学ばれましたか。

山中:3年生ぐらいまでいわゆるデザイン・意匠系と言われる、かっこいい建物を建てる!みたいな。モダン建築みたいなのとかをデザインをすごい好きでやってたんですけど、途中でちょっと思うところがあって、最終的には都市論みたいな、都市はどうやって成り立つか、みたいなのをやり、都市計画っていう上からの目線というよりは人がどういう風に積み上げていくかっていう都市論をやっている・・戦後の東京がどうやって再生されたかとか、焼け野原になってるところからバラックが立ち上がってそれが高級化していって、最終的に駅ビルになってみたいな。それを地図と共に追っていく・・・とかをやっている研究室でした。

福田:(その後)イギリスに留学されると。で最終的に不動産のウェブサイトを運営される会社に就職されたと言うことなんですけれども、その会社でのお仕事とかで印象に残ってることってありますか。

山中:(WEBサイトの)企画とか設計とかをやってたんですけど、事業計画や事業収支とかを計画して、設計をして施主に最終的に引き渡すっていうところまでがお仕事なんですけど、設計してる段階ではこういう風に使われて欲しいな、っていうのがすごいあって設計をしているんだけど、引き渡した後では、私の範疇ではないので、思ったように使われないと、もったいないなと思ったりすることがあって。プレイヤー(として)運営する事って大事だな、みたいな感じ。歯痒さみたいなのを結構感じてたのもあって、割と一番記憶に残ってるプロジェクトで言うと、下北沢の井の頭線の高架下に3年限定のイベントスペースを作るみたいなのを企画の段階から担当で運営管理ぐらいまでやったんですけど、私は企画設計といういつもの仕事と、オープンしてからのイベントの運営管理みたいなとこまで見させてもらって、現場は現場でその現場を仕切る私と同い年ぐらいのお姉さんが入っていて、全然考え方が違うんです。現場の動きと、私はもう計画して、ルールありきだから消防法は大丈夫ですか、建築法は大丈夫ですかとかっていうことが先に頭にきちゃうけど、彼女は何かこう、どうやったら場が良くなるかどうか、法規なんて知らないよ、とまでは言わないけど、そっちを優先するみたいな。すごい面白くて。仲良しなんですけど。そういうのを経験させてもらって、運営することの楽しさとか、実際にそこで動く人をどうコントロールするかの楽しさ、みたいなのを感じたプロジェクトでした。

佐伯:下北沢は私も学生の頃よく行ってたんですけど、小さい芝居小屋がいっぱいあったりとか、ライブハウスがあったりとか、文化の集積している地域っていうところがあって。そこで例えばどんなイベントをなさってたんですか。

山中:音楽イベントとかは需要もあって、やりたかったんですけど。やっぱり商店街の真ん中だったのと、おしゃれなイベントスペースとか近隣から苦情が入ったりもして、音をちょっとでも出したら即警察がくるみたいな。警察の方もクレームが来たら対処しなきゃいけない事情があるんですけど、最終的にあみだしたのは、ヘッドフォンをつけて、イベントに参加した方はヘッドフォンで音楽を聴きながら・・バンドのライブを聴いて。周りから見たらみんなノってるけど・・みたいな。

福田:外から見たら異様な空間。(笑)

佐伯:面白い(笑)

山中:メディアに出たのは、私が企画したわけではないですが、屋外のサウナで、イベントスペースの中にサウナテントを立て水風呂を設置して真冬のイベントスペースとしては閑散期の真冬にサウナに入って出てきて水風呂に飛び込む、みたいなのを下北沢の真ん中の広場でやってる。

佐伯:それ外から丸見えなんですか。(笑)

山中:丸見えです。はい。

福田:屋外でサウナっていうとフィンランドとかスウェーデンとか北欧のイメージがありますけど。

山中:それを目指して。そういう企画とかって私の頭の中では生まれなかったことで、いろんな方とお仕事して、サウナが実現できるんだとか、そういうのは非常に楽しい経験でした。

佐伯:本当に貴重な経験を色々なさってるわけですけど、今の活動にももちろん生かされてると思うんですけれども、他にもこれまでで印象に残ってる事ってありますか。

山中:非常にありきたりな気がするんですけど、19歳の時に一人でインド旅行に行って、一か月ぐらい滞在してたんですけど。着いてすぐ帰りたい!って思ったぐらい本当になんかカオスで。初めての一人旅行がヨーロッパだったんです。鉄道は走ってるし、英語は通じるし、いけるじゃんと思って。翌年にインドに行ったですけど、何もできなくて。すごい人がいっぱいいるし、すごい犬がいるし、すごい牛がいるし、みたいな。道端に。首都のデリーからちょっとこれは逃げ出したいと思って、西部の方にある田舎の町に電車で移動した時に、ブルーシティと呼ばれるジョードプルっていう街で、小高い丘の上から街を眺めてた時に、全部壁が青い町だったんですね、で、すごい綺麗だなと思って。モダン建築万歳みたいだった建築学生としては、でもちょっとこれって建築家がデザインしてるわけでもないのにすごい綺麗だし、通り歩いててもすごく心地良いし、っていうところから、デザイン、みたいなところより都市論、人が作る・・みたいな・・「建築家なしの建築」ってバーナード・ルドフスキーさんっていう人が書いているいわゆるデザイン、デザイナーが建てたものじゃない建物の美しさとかを説いている本とかがあって、そういうことに興味が出てくるようになったので、それで今「ザ・デザイン」をやってるわけではないので、それも繋がってるかなと思います。

佐伯:色々な経験を重ねられて今もアイデアが沸々と沸いているということで、西条市のこれからっていうのもとても楽しみになってきました。それでは最後に山中さんのこれからの夢を教えてください。

山中:はい西条市に、これから住んでいこう、事業していこうと思っているので、いろんなことに頼るんじゃなくて、自分で楽しいと思うことを、自分の力で興していくような人がたくさんいる街になればいいな、と思っています。

佐伯:では福田さん、今日のご感想をお願いします。

福田:山中さんご自身の記憶では、そうなのかな?と思っていたそうなんですが、子供のことからアイデアマンだったと。これからの時代っていうのはやはり、事業継続させていくにはイノベーション。言い方は悪いですけれどもぶっ飛んだ発想とかそういうところがかなり重要な要素になってくるんじゃないかなと思います。そしてそれを実現できるプレーヤーっていうのも当然必要になってくるんですけれども、山中さんの取り組みっていうのはそれを補えるものだと思います。宿泊施設のオープンも予定しているということですけれども、こうして人が集まる場所っていうのがあると、今までもおっしゃってたようにいろんな人との交流であったり、情報交換できますし、そうすることでまた新しいアイデアが生まれて、事業連携とかそういうことも可能になってくるんじゃないかなと思います。こうしたコミュニティとかプロジェクトをどんどん増えていけば、西条がより魅力のある街になってくると思いますので、これからの活動にも大いに期待したいと思います。本日はありがとうございました。

(書き起こし終わり)

いかがだっただろうか。山中裕加の発想の原点が少しでも感じ取れれば幸いである。引き続きDOLsの活動にも注目いただきたい。

今回の記事作成にはいよぎん地域経済研究センターさん、および南海放送ラジオさんにご協力いただきました。ありがとうございます。

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(ここからRAP) 🎤見逃せない資源・人工林 🎤竹林・棚田こそが貴重品 🎤になるここ西条D-O-L-Sに 🎤任せる未来にキープオンSDGs ひぇ! 四国在住フリーランスです。 【映像】映像製作(制作)支援/動画編集 【声】ラジオパーソナリティ/司会 【書】ライター/編集/取材コーディネイト 【企画】広報/ラップ広告/コピー/構成 等々承ります。

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